先日、栃木市公民館講座の第一回講師を務めさせて頂きました。
頂いたお題は
『フルートとの出会い~フランス留学体験記~』
というものでした。
え!私の体験談なんて、だれか興味あるんですか・・・!?
というのが第一声でした苦笑。
異文化に身を置いて感じた事、
日本に戻ってきて
現在の仕事や生活に至るまでの
私の学びや生き様を知りたい!
と言われ、
え・・・!ますます、誰か興味あります・・・?(*_*)
という感じでした。
それでも、ありがたく頂いたお仕事ですので
留学時の体験から、
パリの音楽学校の授業や試験制度、
生活や音楽を通して学び、気づいたことを織り交ぜて
パワポを作成することにしました。
普段、音楽を教えていても
実技メインで、パワポを作ることなどなく、、
夜な夜な、あーじゃないこーじゃないと
カタカタカタカタ資料作りを頑張りました。
そして留学時に撮った写真なども見返して
本当に懐かしい思いでいっぱいに。
留学して身分は学生だったけれど
年齢的には20歳を超えていたし
大人としての自分が、出来ないことがいっぱいで飛び込んだ
海外生活は、
本当に全てが学びしかなかったです。
あと細かく言えば、日々挫折や
細かい屈辱などとの闘い。
講演を終えて思ったのは
私、日々ちゃんと気づいて
学びに繋げていたんだ
という事。
今私も「教える」という立場に立つことが多いですが
「教わる」側のスタンスって
当たり前ですが本当に重要です。
(もちろん教える側も重要なのはもちろんですが)
学びたくてその先生についているのに
結局何か不都合なことがあれば
「先生が教えてくれなかった」
「そんなことは教わってない」
などと言う
「教わる」人、
あなたの周りにいませんか?
あとは大人の学び手に多いのが
先生から言われた事に対して
「あーもうそれは知ってる!
なるほど、
自分が勉強してきたことの
〇〇に当てはまるってわけか。」
と、自分の経験則や価値観に当てはめてしまう。
ある意味、こんな事を言われているのかなと
想像しながら学ぶことは大切ですが
これまでの自分の何かに当てはめれば当てはめるほど
先は拓けなくなります。
“自分のこれまでの物差しで学んでしまう”
これってものすごく「学ぶ」ことに対して弊害なんですよね。
自分の今の価値観から脱出できなくなる。
昔、陶芸家は、作りあげて来た作品を躊躇なく
壊してまっさらな状態からまた作り上げていく
という事を聞いた事がありますが
この部分だけちょっと壊して、作り上げる、とかじゃないんですね。
もう全て0の状態から作りあげる。
そうする事で全く新しい発想が生まれるんだそうです。
ポイントは土台からまっさらにする、という事です。
留学中のパワポを作りながら、
最初師事した先生に、初回レッスンで
ハンマーで思いっきり頭を叩かれたかのような本質に迫る言葉を言われ
あー私全部壊さなきゃ、
まっさらな状態から勉強しないと
この先何もできない。
とすぐに思えたこと、
そしてそれを行動に移せたことが
自分にとって良かったんだろうな、、、と
客観的な振り返りになりました。
それにしても、大人になると
自分では学んでるつもりでも、全然進歩していなかったり
逆に退化してしまうこともありますよね。
私が最初についた師匠は
ほんと、実質的な年齢とは別に
いっつも子どもみたいな好奇心のある先生でした。
それってホント学んでいく上で大事なんだよな・・・
音楽を通して人生を教えてくれた先生の言葉が
今の私の後押しになってくれる時が沢山あります。
過去は振り返らない!と思っても
たまに振り返る過去から気づかされることもあるものですネ。
皆さんは今どんなことを「学んで」いますか?