わたしの成分表

10月頃からの怒涛のスケジュールをこなし、なんとか無事にここまで来ました。

皆さま、メリークリスマス!

年末感のない年末に突入しています。

それは何故かって
今週末の大事なコンサートが終わるまでは・・・・

一切、気が抜けないからです。

単にコンサートに向けて、ではなく
生活全般、そして各予定、家族の健康などなど。

どこかが崩れるとアウトな状況のため
目がギンギンになりつつ頑張っているところです。

ただ、ずっと張りつめていても良い音出せないよな、、と
先週末弾丸で那須方面に行ってきました!

久々の温泉・・・久々の人が作ってくれるごはん・・・そして
久々の雪!(寒かった・・・・)

またそんな中、
素敵な出会いもありました。

私は雑貨屋さん巡りが好きなのですが
車で走っていると、通り過ぎたけどふと目に留まった雑貨屋さんがありました。

直感であそこに行きたい!と車を引き返し、お店へ。

そこはアンティークショップで、お皿から雑貨からアクセサリーまで
かなり年代物の雑貨がずらり並んでいるお店でした。

お店の人は女性がひとり。
並んでいる商品について色々お話していくうちに
とても貴重なお話を伺うことが出来ました。

その女性の方は美術系で活躍されている方で
「モノ」の価値というものを
どうしたら一般の生活でもっと理解されていくかということに焦点を充て
美大のお仲間たちと活動をしているそうなんです。

「モノ」はその時代、その国、その市民が求めていたものが
形になって残っていると。
お皿一枚とっても、大きさ、絵柄、重さ、形など
その時代にしかない、その時代を反映するものであって
お皿一枚から時代が見えてくる、と。

なるほどーーーと思いながら
色々伺っていると、確かに「モノ」は文化やその時代の人の感覚を物語っていますよね。

私が最初フランスに留学した際に滞在したのは
パリ郊外でした。
大きな一軒家で芸術家たちが集まるお屋敷だったのですが
そこでの食事は、必ず“ろうそく”を灯して頂いていました。

燭台にある”ろうそく”が活かされているのを
実体験したのは、そのお屋敷が初!だったかもしれません。

文明が発達した今では、
どこもかしこも明るくて、
明るさばかりが目につきます。
「暗さ」というものになかなか目がいかない気もします。

でも、ろうそくを灯すと
そこに明るさの濃淡が出現して、
暗さの美しさ、というものが出来るんですよね。
また明るさに温かさを感じたりもする。

「明るさ」と「便利さ」を掛け合わせた現代が
失ったものは、そういう感覚なのかも知れません。

そんな昔を思い出しつつ、
確かに、ここにある一つ一つの「モノ」たちの変遷を考えると
ものすごい歴史を背負っているんだな、と感慨深くなりました。

そしてもう一つ、その女性から頂いた言葉で
納得したのが

「目に見るもの、触れるもので、『その人』の感覚や内面が作られる」
ということ。

何気なく使っているもの、手に取るものから得ることは計り知れないですよ、と。
皆、身なりなどは気を遣うのに、なぜ内面に直結するものには気を使わないのかしら、、と。

たしかにーーーー!と納得。

今は脱物質化で、全てをAIやコンピューター化して
利便性や機能性をより多く求める時代ですよね。

端的に言えば様々なサービスや事業に
「人」の必要性がなくなってきています。

このことで、環境改善だったり、時間を短縮出来たり
めんどくさい「人」対「人」のやり取りを介さなくても
済む世の中になってきています。

だから、手間暇かけなくても何でもできちゃう。

ある事柄を達成するために、
「苦労」や「めんどくささ」が排除されて来ている世の中ですよね。

これっていいじゃん!便利でサイコー!と思いがちですが

何を奪っているかって

人がそのことを達成しようとする「思考」や
人と人とが関わり合う「豊かな時間」
なんですよね。

そんなものいらない!っていう現代の人が増えているのかも知れないけど
それって人間に生まれてロボットみたいに生きる
不自然な現象だと私は思います。

アンティークショップの方は海外にも精通していらっしゃる方で

「海外に行くとね、
どんなに忙しくっても、難しい問題があっても
ちゃんと茶器セットでお茶淹れて飲むの。

必ず“マイカップ”があって、お気に入りのカップで飲むのよ。

それってそのお茶を通して
そこにいる人たちとの関わりやその時間そのものを
共有しているのよね。

そんな豊かなことないわ!」

と仰っていて
もう、まさにその通りだな。と一つ一つの言葉が自分の中に
浸透していくのが分かりました。

万年ダイエッターの私は
食べたもので身体は作られる!と知っていたものの

最近確かに激務すぎて、そういう自分の身になるための
「豊かさ」を忘れかけていたなあと
感じました。

確かに生活の中で「お気に入りのモノ」で何かをするときの
自分の心はとても潤っています。
心自体が嬉しい!というか、弾む感覚。

「お気に入りのモノ」は決して高価なものではなく
自分にとって心地よい価値のあるもの、良いもの、であるほど
心が育つ気がします。

じゃあそれがどんな感覚をもって「価値」になるか、「良いもの」とされるかは
どんな環境で生活しているか、その中で目に入るもの、触れるもの全てから、ですね。

だからモノを大事に、生活を丁寧に、大切に生きていくことが必要です。

なんでもいいやーとその場を過ごしていくと
心も弾まず、
内面がすっからかん、
なにも感じない自分になっていく気がします。

ああ恐ろしい。。。

音楽の分野で言えば
コロナ禍を経て、
生演奏でなくても気軽に演奏を聴くことが出来る世の中に変わりました。
発信の幅も受信の需要も増えた気がします。

それでも、
演奏家が生演奏の機会を大事にする、
聴衆がその場所に時間とお金をかけていって、臨場感から得るものは
完璧なAIには絶対成しえないことだと思っています。

その両者の行為は
そのまんまその人の「成分表」になって、豊かな感覚に直結していくものだと考えます。

だから皆さん!!!

12月29日(日)ぜひ私のコンサートに足をお運びください笑!!

こんなことを考えて奏でる私から出ていく音は
きっとデジタルで聴いているものとは違うはずです。

ダイエットの事ばかり考えてPFCバランス、、、
ふむふむとかやっていたけれど

音楽をやっている以上、
豊かな感覚を養っていき
わたしの「成分表」がキラキラでいっぱいになれるよう
これからも目に入るもの、触れるものに一層気を付けていこうと思う那須での出来事でした。

12月29日の情報は、コンサートinfoをご覧くださいませ!!

お待ちしておりまーす!

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