信念とこだわり

最近、いろんな人の生き方に触発されます。

子どもの頃は、ほとんどの人が小学校や中学校で決まった科目や
決まった時間割をこなし、いわゆる敷かれたレールに乗ります。

高校である程度分岐してその後大学で専門を学び、
そこで学生生活は終わり。

その後は何を学んだか、ちゃんと図られずに
ある意味自動的に
年齢が来れば<社会人>と呼ばれます。

社会人になってからの人生の長いこと長いこと!

自分でちゃんと舵を切って、人生設計していないと
あっという間に時間は過ぎて
一体なんのために生きているのかさえ迷ってしまう時があります。

会社が自分を幸せにしてくれるわけではないし、
自分が誰とどう生きて、どう死んでいくのか
当たり前だけど人生の舵を切るのは自分。

そう考えている時に
ふとした瞬間、素敵な大人と出会う機会があって
その人の考え方とか信念にすごく共感しました。

その人の住んでいる街には、いわゆるシャッター街というか
シャッター観光地?化している場所があって
私もそこを実際目のあたりにして、
昼間でも廃墟のホテルだらけですごく怖かったのを覚えています。
素敵な街なのに勿体ないなあという印象。
こういう区域があると一気に印象が悪くなる感じ。

恐らくバブルと呼ばれる時期に、
目先の利益ばかり追い、予算の赴くままに色々建てたんでしょうね。

数年後、数十年後どうなりたいか、というプランもないまま。

信念がない、だからちょっとした出来事ですぐ経営が傾く。
倒産、廃業。
残ったその廃墟を片づける予算すらない。

その素敵な方は、
最初にこういうプランがあり、こういう信念があって
それに付随するように建物や街づくりをしないからだと言っていました。

でも、こだわりや信念を貫くと、
絶対に現実的には赤字になる。

ただ、こだわりや信念は揺るがないものだから、
周りを大事に、自分に正直に誠実にそれを貫き通していったら
絶対に物質的なものは追い付いてくるんだ、と。

最初から枠の中でしか物事を捉えられない人と、
まずは自分の芯を見据えてから枠組みを作る人では
その後の人生大きな違いがある、と。

組織なんて正にそう。
目先ばかりに右往左往して、確固たる信念がない組織は
絶対に光は差さない。差しようがない。

もうめっちゃうなずいてしまいました。

私も生き方として好きなのは、
自分の芯を持ってからその枠を考えていくという方だし
思い返してみればそういう生き方をしてきたよな、と思います。

親には心配をかけ、安定せずリスキーだったけど、
大好きな音楽はいつも自分の中心にあって
その原動力で沢山の経験を積ませてもらいました。
しかも、お金では買えない沢山の経験です。
大事にしたい芯はいつも自分の真ん中にあります。

肩書きとか、地位とか、お金とか
そういう物質的なものよりも、
一番の武器は自分の中の芯ですよね、と思います。
誰にも取られないし。

そんな素敵な話しをしてくれた方も
バリキャリで働いていらっしゃった方ですが
第二の人生として昨年より
素敵なペンション経営を始めています。

芯を持って生きてきた方だから、本当に穏やかで
心が優しくて、人に対して丁寧で、
ああ、こういう人に出会えてよかったなと思える人です。

別れ際にも、自分らの進む道を信じて!応援しとるから!と言ってくれて
(その人は関西出身の方)
私たち家族はとっても励まされました。

自分の大事な人を大事に、
そしてそんな自分を理解して大事にしてくれる場所を大切にしていきて行こう。
全てを相手にしている暇はないし、
相手にされていない場所で頑張る必要もないのだ。

4月から色々転機です!

たのしみ!!

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